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雨ニモマケズ か
レンダロの、Earthquakes hit Japanのコメント欄に、宮澤賢治の『雨ニモマケズ』の文頭を書いてる人が居たので、どんな内容だったっけ、と全文青空文庫からコピってきました。(続きに)
よく聞く『雨にも負けず 風にも負けず』という文頭だけを見ると、どんな困難にも負けないぞ!という意気込みを示した文章のように思えるのですが、『雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫な体を持ち』と続くわけで、意気込みの話ではなくて、そういう健康な体で居たい、という意味だと分かります。
そしてそこまで読んだ時点で、なんだただ自分が健康で居たいってだけのことか、と思うわけですが、その後から意気込みの話になってきます。
中盤に出てくる、『東に病気の子どもあれば 行って看病してやり』から始まる部分も有名だと思います。他人に親切に、みたいな部分ですが、褒められる人になりたいわけではない。
『皆に木偶の棒と呼ばれ 褒められもせず 苦にもされず』
謙虚に生きたい、という解釈をされがちですが、個人的には文章どおりの意味だと思います。人から見れば役にも立たないけど害にもならない、居ても居なくても同じ、それで構わないそれが良い、という。
被災地に居る人よりも、全く被害が無く、さらに輪番停電にも関係なく、周波数が違うから電力を送ることもできなくて節電してもあまり意味が無く、普段の生活に必要なお金を稼ぐのがやっとで義捐金も出せなくて、「何もやってあげられることがない、かと言って今まで通りの生活を続けるのは被災地の人たちと比べると贅沢だからダメな気がする」と意気消沈してしまっている人にこそ、必要な詩だと思います。
(でも、本当に今まで贅沢していた人はその贅沢を減らして浮いたお金で募金をすれば良いと思うけど)
全然考え方は違うものの、「自分は全然関係ないし♪」みたいに(強がりではなくて本気で)思ってる人にも読んで欲しいです。
よく聞く『雨にも負けず 風にも負けず』という文頭だけを見ると、どんな困難にも負けないぞ!という意気込みを示した文章のように思えるのですが、『雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫な体を持ち』と続くわけで、意気込みの話ではなくて、そういう健康な体で居たい、という意味だと分かります。
そしてそこまで読んだ時点で、なんだただ自分が健康で居たいってだけのことか、と思うわけですが、その後から意気込みの話になってきます。
中盤に出てくる、『東に病気の子どもあれば 行って看病してやり』から始まる部分も有名だと思います。他人に親切に、みたいな部分ですが、褒められる人になりたいわけではない。
『皆に木偶の棒と呼ばれ 褒められもせず 苦にもされず』
謙虚に生きたい、という解釈をされがちですが、個人的には文章どおりの意味だと思います。人から見れば役にも立たないけど害にもならない、居ても居なくても同じ、それで構わないそれが良い、という。
被災地に居る人よりも、全く被害が無く、さらに輪番停電にも関係なく、周波数が違うから電力を送ることもできなくて節電してもあまり意味が無く、普段の生活に必要なお金を稼ぐのがやっとで義捐金も出せなくて、「何もやってあげられることがない、かと言って今まで通りの生活を続けるのは被災地の人たちと比べると贅沢だからダメな気がする」と意気消沈してしまっている人にこそ、必要な詩だと思います。
(でも、本当に今まで贅沢していた人はその贅沢を減らして浮いたお金で募金をすれば良いと思うけど)
全然考え方は違うものの、「自分は全然関係ないし♪」みたいに(強がりではなくて本気で)思ってる人にも読んで欲しいです。
雨ニモ負ケズ 宮澤賢治
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩